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8月前半
平日、火曜、何もない、何も起こらない、ただ暑いと言う感情だけが部屋には充満している。
いつものことではあるが平日は特に予定はない、少し寂しい、しかし不定期な仕事ばかりしている自分がいけないのであり、この時間友人、知人達は仕事をしているのでしょうがないし、人は本来どれだけ好きあっていようが、気にかけていようが個であるという認識が自分にはあるので、よほどのことがない限り、もしくは自分の興味がそそられない限りは人は誘わない。
また、自分は昔からその「うそくさい」キャラクターからか友人は常に流動的で、さすがにこの歳になれば何年来の友人もいるものの、そういった昔の嫌われ癖が抜けきらないところがあり、大切な友人を失ってしまうと本当の一人、個、に陥ることを恐れているので、たまに会っていい顔だけを見せようと言うスタンスをとっている。そうでもしないと「めんどくさい」「やっかい」と思われてしまうのであり、そのへんの努力は怠らないのだが、
それでも敏感に感じとる人はたいがいにおいて自分からは離れていってしまう。それを孤独だと感じる時もあれば感じない時もある。ただ怖いのはそれに慣れていってしまう事だ。
平日の昼間はほぼ麺類だ、カップ麺も楽でいいが、外の気温もあるし、自分は冷房を長くつけていると粘膜がやられ、のどや鼻が大変な状態になるので来客時以外の通常は点けていない。となれば、温かい汁物はこの季節たいがいにおいてNGとなる。そうなるとパスタということになる。麺は固めが好みなので茹で時間は短めにしておき、隣のフライパンはオリーブオイルをたらした状態で少し温めておいて、茹で上がる前にもう一度火を入れ、スライスニンニクを入れる、人とは会わないのでニンニクの量に遠慮はしない、その間にパスタの湯を切る、茹で汁を少量別の容器にとり市販のバジルペーストや唐辛子、塩、胡椒などその日の気分でソースを作る。フライパンのニンニクがきつね色になったところでパスタ、ソースをいれ、火を落とし、さっとまぜて完成、トマトベースでも作り方はあまり変わらない。自分ではおいしいと思っているし、昔、付き合っていた女性がいたときは、うまいと言ってくれていた。もしかしたら世辞かもしれないがそれを知る術は今となってはない。
腹が膨れるといよいよやることがなくなるのでとりあえず音楽をかける、あまりうるさい物はかけない、不思議なことだが、自分はバンドなどをやっていて、少しく騒がしいバンドなのだが家ではほとんど静かなものがおおい。
音楽を聴きながら寝てしまうこともあるし、それはしあわせだと感じる時もあるがたいがいは何も考えていない。虚無。
眠くないときは本を読むか、外に散歩に出る、散歩といっても近所を歩いたところで何もないので、近場の下北や渋谷に出て買い物なんかをする。物欲で動くのは別段楽しくはない、希望のものを見つけるため歩き回る。あげく何も買わないときもある。
外に出たのを理由に人を誘うこともある、そのまま呑みに流れれば楽しいなぁとも思うが、たいがいは本などを買い、明るいうちに家に帰ってくる。一冊だと日に読みきってしまうので、二冊が好ましいのだが、あまり本の事をよく知らない事もあり、買いたくても読みたい本が現れないこともしばしばで、しょうがなく音楽雑誌などを買うときもある。
最近は久しく読んでなかった筒井康隆著「敵」という長編を日に少しづつ読んでいる。読みきってしまうとまた何か読みたいものを探すことになり億劫なので、ゆっくりかみしめるように読むことにしている。
そうしてるうちに暗くなるので、テレビを見たり、パソコンをしたりする。週末であれば、友人、知人がクラブイベントやライブをしたりすることがあるのでヤァヤァと見に行く。疲れていてもなるだけそういう場は行くようにしている。
平日においてはあまり誘いなど入らないし、近くに住む友人もいないのでたいがいパソコン、テレビ、ラジオをつけっぱなしにしておいて、えらく騒がしい家である。
最近は特に暇なのでパソコンで音楽、ゲーム、エロ、ネットワーク、おもしろサイト等をめぐる。たまに、書き物の案やバンドの曲のネタが浮かんだりするのでそのときだけは電源を落として、A4の用紙とペンでネタをメモする。そうこうしてると3時だ4時だになっているので眠くなったらねる。一日が終わる
寂しい暮らしをしているなと思う方もおられよう、それは当事者の自分が一番理解している。「俺なんて毎日予定はいってるよ」的な方のほうがきっと多いのだろう。だがその生活が突如破綻する事もあるし、その恐怖にくらべれば、こうして静かに毎日を送るのも悪くはないのかと感じる時もある。せめてもう少しだけ豊かであれば、だが
自分はいい歳ではあるが音楽をやっている。今の自分の希望はそこだけにある。希望などというと夢物語のようで、目がキラキラしていそうで嫌なので、現実的に「好き」と言う言葉で表そう。普通の人よりも音楽が好きであるし、それに時間を割いているし、それが身になることだと理解している。だから、「いい歳して音楽なんて」と言う人は馬鹿だと思っている。その人たちは音楽は歳をとったらやってはいけないという非現実的な理論で私達を罵倒しているわけだから。
ペルユビュというバンドのデビットトーマスという人がこんなことを言っている「音楽はミュージシャンと聴き手の間に1つの関係を構築する、と言う目的を持った、密接な意思疎通の一形式でなければならない。それを求めない音楽は、本当の音楽とは考えられないし、娯楽、気晴らしとも考えることもできないだろう、これは音楽を単なる商品と考えている大手レコード会社の売れさせすればよいというまやかしの音楽が、いたるところにあふれている今日、深く考えなければいけない問題だ」
僕のバンドは彼らとはまったく違う音楽性だし、この言葉の深さを完全に理解できているわけではないが、それでも僕はこの言葉に希望を感じる。
結局なにが言いたいかわからんくなった、、 |